大みそか恒例、2017年のスト界のトピックを、筆者の知る狭い範囲ですが振り返ります。
<“看板舞姫”の引退相次ぐ>
本コーナーは「一定期間以上ステージを彩り、今年、意向表明の上で引退ないし休業された方々」という“基準”でまとめていますが、今年は去年などに比べ、その人数は減少したように見えます。しかしそのお名前を見るにつけ、各所属における“看板級”の方々がステージを去った年として記憶されるのではないかとの印象を持ちます。
・02/15[引・東洋]瑠川りな(東洋・2015)
・04/10[引・川崎]川村あいね(東洋・2002)
・05/31[引・東洋]伊吹千夏(東洋・2010)
・06/10[引・渋谷]石原さゆみ(渋谷・2014)
・06/20[休・新宿]豊田せりか(ロック・2005)
・06/25[引・浅草]灘ジュン(ロック・2004)
・07/10[引・川崎]大友輝(ロック・2004)
・09/30[休・渋谷]有馬美里(渋谷・2010)
・12/30[引・浅草]藤月ちはる(ロック・2012)
・12/30[休・渋谷]六花ましろ(渋谷・2011)
・04/10[引・川崎]川村あいね(東洋・2002)
・05/31[引・東洋]伊吹千夏(東洋・2010)
・06/10[引・渋谷]石原さゆみ(渋谷・2014)
・06/20[休・新宿]豊田せりか(ロック・2005)
・06/25[引・浅草]灘ジュン(ロック・2004)
・07/10[引・川崎]大友輝(ロック・2004)
・09/30[休・渋谷]有馬美里(渋谷・2010)
・12/30[引・浅草]藤月ちはる(ロック・2012)
・12/30[休・渋谷]六花ましろ(渋谷・2011)
(記載項目は「引退・休業日」[引退/休業・最終出演劇場]「名前(敬称略)」「所属・デビュー年」)
このほかにも、明確な引退・休業を告知することなく、静かに舞台を去って行った方々もいらっしゃいます。その方々も含めて、これまでのご活躍に感謝申し上げるとともに、その志が広く長く受け継がれていくことを願っています。
<劇場の閉館・休館を巡る動き続く>
■「TS」が閉館
テナントとして入居していたビルの家主との民事訴訟による和解協議の結果、「平成29年1月末」での退去が決まっていた「TSミュージック」は、その期限の半月前、1月15日(日)の公演を最後に閉館しました。最後の楽日には徹夜組も含めた大勢のファンが詰めかけ、最後まで別れを惜しんだことが伝えられました。開館は1977年5月、40周年を目の前にしての閉館でした。
■「広島」“三度目の延命”
去年8月30日、次の日に迫った閉館を目前にして「今年1月31日まで営業延長」を表明した「広島第一劇場」は、その予告通り1月31日(火)に、地元や近隣地のファンを中心にした超満員の観客が別れを惜しむ中、閉館しました。しかしその後も建物は残り、筆者が3月に訪れた際も「不法侵入者対策」として日中時間帯は元のスタッフが館内に常駐する態勢を取るなど、わずかな望みを抱かせていました。
そんな多くのファンの願いが通じたのか、3月21日(火)、突然、劇場ホームページを通じて4月1日(土)~2018(平成30)年2月20日(火)の営業再開を告知。エイプリルフールなどではなく、4月1日に期間限定ながらも営業は再開されました。さらに12月5日(火)、劇場の建つ土地の開発計画変更に伴い、2018(平成30)年5月31日(木)まで営業を延長することをツイッターやホームページで発表。こうした3回目の“復活”に対して、早くも“4回目”を望む声が聞かれています。
去年8月30日、次の日に迫った閉館を目前にして「今年1月31日まで営業延長」を表明した「広島第一劇場」は、その予告通り1月31日(火)に、地元や近隣地のファンを中心にした超満員の観客が別れを惜しむ中、閉館しました。しかしその後も建物は残り、筆者が3月に訪れた際も「不法侵入者対策」として日中時間帯は元のスタッフが館内に常駐する態勢を取るなど、わずかな望みを抱かせていました。
そんな多くのファンの願いが通じたのか、3月21日(火)、突然、劇場ホームページを通じて4月1日(土)~2018(平成30)年2月20日(火)の営業再開を告知。エイプリルフールなどではなく、4月1日に期間限定ながらも営業は再開されました。さらに12月5日(火)、劇場の建つ土地の開発計画変更に伴い、2018(平成30)年5月31日(木)まで営業を延長することをツイッターやホームページで発表。こうした3回目の“復活”に対して、早くも“4回目”を望む声が聞かれています。
■「仙台」公式ホームページからも姿消す
去年6月から休館状態に入り、その後、建物はそのままながら「無料案内所」に改装されて閉館が確実になった後も、「ロック座公式ホームページ」掲載が続いていた「仙台ロック」でしたが、その掲載も今年ついに消滅。さらに「ブッチャー」の愛称で親しまれた名物投光さん死去の報も伝えられ、いよいよ思い出の中に残るだけの存在になりました。
去年6月から休館状態に入り、その後、建物はそのままながら「無料案内所」に改装されて閉館が確実になった後も、「ロック座公式ホームページ」掲載が続いていた「仙台ロック」でしたが、その掲載も今年ついに消滅。さらに「ブッチャー」の愛称で親しまれた名物投光さん死去の報も伝えられ、いよいよ思い出の中に残るだけの存在になりました。
<メディアでの放映・掲載相次ぐ>
今年もメジャー雑誌や地上波テレビで、劇場や業界、果ては“応援さん”が取り上げられるといった、認知度アップにつながる放送や掲載が相次ぎました。
3月8日号の女性向け雑誌「anan」では「官能の流儀」と題した特集の中で、漫画家・イラストレーターの谷口菜津子さんによる「浅草ロック座」のレポ漫画が掲載され、女性目線での魅力が熱く綴られました。
同じく女性の手による記事としては、11月号「小説新潮」で、作家の蛭田亜紗子さんが「トリップ・トゥ・ザ・ストリップ -ストリップに夢中」と題して、入門者向けの手引きとしても優れたエッセイを執筆しています。
一方、男性向け雑誌も負けていません。5月23日号の雑誌「SPA!」は、「日本のストリップは文化遺産である」とのタイトルで、最新の動向を舞姫や劇場スタッフ、ファンなどへのインタビューを中心にした記事を4頁にわたって掲載するなど、関心の高まりを反映して劇場関係の記事を目にすることが増えたように思います。
また、テレビ番組で大いに取り上げられたのも今年のトピックで、3月17日(土)放送(関東エリア)のテレビ朝日系「タモリ倶楽部」では「ストリップ応援完全マニュアル」と題して、「渋谷道頓堀劇場」を舞台に「タンバリンさん」「リボンさん」という“応援客”にスポットを当てた番組を放送。タモリさんが挑戦したリボン投げの鮮やかさが話題となりました。
さらに8月26日(土)放送のTBS系「有吉ジャポン」では「なぜ女性客急増!?ストリップ劇場の魅力」を特集。「蕨ミニ劇場」の密着ドキュメントや「浅草ロック座」の舞姫紹介など、“最小劇場”と“最大劇場”を取り上げた興味深い内容が放送されました。
「蕨」は大人気で、12月2日(土)テレビ東京系「出没!アド街ック天国」の「埼玉 蕨」の回でも「13位 日本一狭い?蕨ミニ劇場」として堂々のランクインを果たしています。
またネット動画の世界でも、メゾネットメゾン「シアターザファースト」のMVで「広島第一」を舞台に矢沢ようこさんが出演。矢沢さんは、銀杏BOYZ「恋は永遠」のPVでも「川崎」のステージに登場し、このPVを“再現”する演目を演じるなど、映像とステージのコラボの第一人者として活躍されています。
(メゾネットメゾン「シアターザファースト」)
(銀杏BOYZ「恋は永遠」)
これらの記事や番組に触れた人たちが興味を持ち、初めて劇場を訪れるという“好循環”も生まれているようで、こうした動きを業界存続、発展につなげられるか、その真価が問われているといっても過言ではないと思います。
<ストリップ誕生70年>
今年は1947年に日本にストリップが誕生して、ちょうど70年という記念すべき年でした。同じ年に産声を上げた「ロック座」も70周年(ただし経営母体は変遷を遂げている)を迎え、7・8月公演「EARTH BEAT」は「ロック座70周年記念公演」として大いに盛り上がりました。
そしてここで一つのソロ作品に触れておきたいと思います。香山蘭さん(ロック座・2011年デビュー)がこの夏演じた「反戦歌 三部作」です。この作品は、若い男女が戦争で引き裂かれ、男は戦死。残された女性が生きるために踊り子になり、日本のストリップの幕を開けるという物語を描く、三部に渡るこの夏ならではの大作でした。その構成の巧みさや時代感、そして観る者をあっと言わせる結末で大いに話題になった本作は、日本のストリップが70年かけて育ってきた一つの“文化”であることを確認させてくれたように思います。
もう一つ、ストリップ70周年を記念して11月21日に写真集「Love Dancer second」が刊行されました。カメラマンの大駅寿一さんによる写真と文で週刊誌「アサヒ芸能」連載中の「Love Dancer」を再編集したもので、2006年の第1弾以来、11年ぶりとなる写真集です。「「ストリップ誕生70周年記念」写真集。人気ストリッパー総勢25名が夢の競演!「華麗ステージ&プライベートショット」計515カットを完全収録したストリッパー密着ドキュメント!」(Amazon紹介文より引用)とあるように、70年を迎えたストリップの「今」を後世に伝える貴重な写真資料になっていくに違いありません。
<訃報>
4月28日、浅草ロック座の齋藤智恵子名誉会長が90歳で亡くなられました。宮城県出身で、初代「東八千代」として舞台デビュー。その後、劇場経営に関わり、現在のロック座グループの礎を築き上げました。最近まで「浅草」のロビーや場内でもよくお姿を拝見し、気さくに声を掛けていただきました。「ストリップ誕生70年」の年に、そのキーパーソンが旅立たれたことに深い感慨を覚えます。改めてご冥福をお祈り致します。
4月28日、浅草ロック座の齋藤智恵子名誉会長が90歳で亡くなられました。宮城県出身で、初代「東八千代」として舞台デビュー。その後、劇場経営に関わり、現在のロック座グループの礎を築き上げました。最近まで「浅草」のロビーや場内でもよくお姿を拝見し、気さくに声を掛けていただきました。「ストリップ誕生70年」の年に、そのキーパーソンが旅立たれたことに深い感慨を覚えます。改めてご冥福をお祈り致します。
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4年連続で今年も一年を通して劇場の摘発事案はありませんでした。これは見方を変えれば、それだけ劇場自体が数を減らしているとも言えます。「AV出演強要問題」に端を発したアダルト業界への視線は厳しさを増したまま、新たな年を迎えると、「2020」まで「あと2年」となります。
「70周年」を迎えることが出来たストリップという芸能文化が、その魅力を少しでも多くの人に受け止めてもらうことで、この先も生き残っていくことが出来るのか。そしてそのために私たちに出来ることは何なのか。日々演じられるすばらしいステージの数々を拝見しながら、来る新たな年も、少しずつ考えていければと思っています。
それではみなさま、どうぞよいお年をお迎えください。
(一部敬称略)