日本の風景が変わってしまったあの日から、8年の月日が流れました。当時のことを思い出すと、昨今の劇場の隆盛が夢のように思えます。
ストリップ劇場自体は、地震そのもので大きな被害が出たところはありませんでした。しかし震災前から陰りを見せていた客足の減少は、震災後の計画停電、ガソリン不足、自粛ムードなどによってさらに加速。「客席はガラガラ」というのが日常的な劇場風景になっていきました。私が経験した「浅草」の最少観客数記録「9人」という場内も、そのころのことでした。
当時、本気で思いました、「これでストリップは終わるんだ…」と。もっとも、原発事故で日本が終わるかもしれないという事態を迎えていましたから、全てに終末感を感じる異様な世の中であったことが、その思いに拍車を掛けていたかもしれません。しかし、ストリップという文化の終焉を覚悟するほど、劇場から観客の姿が目に見えて消えていったのです。
ちょっと前、2011(平成23)年7月10日の「浅草」楽日について書いた自分のレポを読み返す機会がありました。その記述内容に、書いたのは自分のはずですが、驚かざるをえませんでした。
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この日は久しぶりの「日曜楽日」、しかもTAKAKOさん引退とあって混むのは目に見えていたが、それは想像を遙かに超えていた。2回目の時点で客席はほぼ埋まり、後方に立ち見客が20人ほど並ぶ。特に震災以来、客入りを危ぶむ声も聞かれていただけに、この入りには正直驚かされた。しかしこれはまだほんの序の口に過ぎなかった。
(拙ブログ 2011(平成23)年「7月頭【浅草】楽日レビュー」より)
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日曜日の楽日で、しかも大ベテランの引退日。これだけの条件が揃った日の2回目に、立ち見客が20人ほど並んでいる光景を見て、当時の私は驚いているのです。今なら楽日でも何でもない日曜日にも普通に見られる、何の驚きもない光景です。私の手元の記録では、この日の「大入り」が、2011(平成23)年に「浅草」で出た唯一のものでした。震災の年、「浅草」の「大入り」は一年間で1回だけだったのです。
それから8年。大震災当時の危機的状況を思い出すのが難しいほど、各地の劇場は日々賑わいを見せています。観客の記憶からも、当時の思いは確実に薄れつつあります。何より大震災後にストリップファンになった方が、現在劇場に通う顔ぶれの多くを占めるようになりました。大変うれしいことです。ストリップの将来にようやく少しだけ明かりが見えてきたのかもしれません。しかし私は一抹の不安を感じます。この状況が砂上の楼閣であるということはないのか、何らかの自然災害や社会環境の変化で、隆盛と見えた状況がもろくも潰え去るということはないのか、と。
私の不安が杞憂に終わることを願います。しかし、そんな願いなど何の力にもならないことは、8年前の東日本大震災が実証してみせました。8年前のあの時、ストリップファンなら誰しも、ほんの少しだけでも考えたのではないでしょうか、「私という観客には何が出来るのか」と。その答えは、おそらく一つしかなかったと思います。「それぞれが無理なく可能な範囲で『劇場に行く』」、これだけだったと思います。
3月11日。現在の大賑わいの場内に、8年前の閑古鳥が鳴く光景を重ねつつ、「劇場に行けることの幸せ」と、「劇場に行くことが持つ意味」を、今日はもう一度考えてみたいと思うのです。